知性と感情をひとつに。ECOMACOが伝えたいこと。
長野オリンピックでポリ乳酸繊維を使ったショーを開催したあと、マスコミの方からたくさんの質問をいただいたんです。「何をやったら一番エコなんですか」と。極論を言ってしまうと、物を作らないことが一番のエコなんですね。それなら、私たちがやってきたことは何だったんだろうと、そこに答えはないんです。それでも、服で何が表現できるかを考えると、行き着くところはいつも素材でした。「生分解される木の葉のような服をつくろう」と。トウモロコシを原料としたポリ乳酸繊維に出合ったのは1997年のことですが、糸の研究を重ねて今も思うのは、糸も最初は赤ちゃんなんだ、ということ。まだ市場に出たばかりの、未完成のものを私たちは手にしてきたんです。
オリンピックの時の洋服は、数年経って生分解していました。長所が欠点なんですね。人生の中でいつも思うのは、長所が欠点、欠点が長所ということ。でもそこを育てると、ほかにはないオリジナルになる。生分解するものを、どう耐久性と両立させるかということが最初の苦しみでした。その後は、熱に弱いというもうひとつの欠点をどう生かすかということ。この時は、しわ加工することで特許をいただくことができました。最先端の繊維企業や伝統工芸の職人の方々に辛抱強くお付き合いいただいて、今では安定供給できるようになりましたが、素材開発はいつも先の見えない長期戦。欠点を長所に、糸の改善をしつづけてきたことで、今のエコマコがあるんです。
“自然のエネルギーを身にまとう”。これはエコマコの大きなコンセプト。新幹線や飛行機といった交通手段や、パソコンや携帯電話などの情報通信機器の進化とともにスピードアップしていくこの時代に、これまで経験のないスピード感に接すれば接するほど、自然が与えてくれるもの、簡単には育たないものに触れたくなります。もっと安定できること、落ち着けるもの、そういう「不動」のものに包まれたくなります。そのときに身にまとうものは、“自然のエネルギーを身にまとう”ような心地よさ、美しさ、安らぎを感じられる服でありたい。働く女性がオフィスの中で身につけても違和感がなく、アフターファイブやプライベート、そして家の中でも着ていられる服。そういう「ロケーションフリー」の服を作りたかったんです。
また、エコマコが目指したかったこと、これからも目指していくことは、周囲の人たちが楽になるファッション。自分を守るだけではなく、相手もリラックスできる装いです。日本の女性は「大和撫子」といわれたように、辛抱強くて繊細。そしてそれはある種の品性だと思います。サービス精神ともいえますし、気づかいともいえます。それは男性・女性を問わず、日本人として持っている素地なのではないでしょうか。マニュアル通りではなく、気づかいのあるもてなし。人を気づかう国民性。そこから生まれたファッションは、やはり自己表現だけではなく、周りの人々を気づかい、相手をリラックスさせるものでありたい。わたしはそう思っています。
「きれいでありたい」「美しく見せたい」というのは、女性の自然な感情です。その反面、エコロジーというのは、頭で理解することであり、知性の部分。「知性」と「感情」。わたしたちはその相反する感覚の両立を目指してきました。ですが、私たちが目指すものは、たとえば「CO2を削減しましょう!」というような強いメッセージではなく、環境問題を前にして、「これから私たちができることは何か」という、「参加型」の考え方です。石油で賄われてきた化学繊維を、今後何に切り替えるか?それはトウモロコシであったり、サトウキビであったり、あるいは、これからもっと軽く感じる素材が生まれてくるかもしれません。また、今後の自然エネルギーとビジネスとのつながり考えたとき、わたしたちは農業とのつながりにも可能性を感じています。
そして環境を考える上でもっとも大切な「もったいない」という心から、2012年に立ち上げた「光のカケラ」というプロジェクトは、「ありがとう」「もったいない」「笑顔」をコンセプトに、エコマコの残布を新たな雑貨小物によみがえらせる活動を行っています。今、進めているのは「地域染色」と言って、エコマコの素材を菜の花やシャクヤクで染めたり、間引きされたリンゴの枝で染めるなど、本来なら捨てられてしまうような材料を使って自然由来の美しい色を生かした素材づくり。それは、あるところでは必要とされなくても、みんな大切なんだよっていうことに光を当てたいと思ったのです。自然の恵みに感謝して、皆が笑顔になり、最後に「ありがとう」という感謝の言葉が出る。そんなエコロジーな循環が、広がっていけばと思っています。